読書紀行 3冊目【嘘つきアーニャの真っ赤な真実】
米原万里氏は言葉の魔術師だ。
彼女の著書を数冊ほど読み、納得する。
史上最高のロシア語通訳者と言われるはずだ。
通訳者に必要なのは訳す言語もさることながら、
洗練された母語力が求められる。
米原さんが持っていたのは複雑なロシア語を自在に操る力だけでなく
類い稀な国語力なのだと読みながら唸らされる。
なんといってもどの著書を読んでも読みやすい。
散文のはずなのに、知性とウィットさが滲み出る。
自己満足的に小難しい語彙を書き並べず、
必要な情報を過不足なく、情景が目に浮かぶような言葉を用いて、
面白おかしく書き連ねている。
今日紹介する【嘘つきアーニャの真っ赤な真実】は米原さんが
思春期に過ごしたプラハでのソ連学校生活と、
それから30年経った時のプラハ時代の学友との再会を綴った話。
本章は3章に分かれている。
おませで勉強嫌い、けれども本質を見抜く洞察力のあるギリシャ人のリッツァ。
共産主義思想に傾倒していながら自らは何の疑問もなく特権階級の権利を享受しているルーマニア人のアーニャ。
聡明で母国の情勢により学校で居ずらさを感じながらも凛とした魅力でクラスに一目置かれていたユーゴスラビア人のヤスミンカ。
3人と米原氏の共通点は親が各国の共産党員のであり、また皆幹部的な立ち位置であったこと。
その為、このエッセイを読むと当時の共産党的な思想や、各国の文化背景、社会情勢が透けて見えるのが面白く、また時に切ない。
特定の国籍に属するということが、学校生活での自分の立場や命に影響するという経験は私がしたことがない。
亡命したアルジェリアのクラスメイトがしばらく経って祖国に帰り「銃殺された」ことを知る。
共産党内の各国の論争に学校での対人関係が影響する。
そんな経験はしたことがない。
少女たちはそんな経験を何食わぬ顔して経験してきたのだ。
私自身は資本主義と呼ばれる文化圏でしか暮らしたことがなかったので、
共産主義に対してあまり良いイメージを抱いていなかった。
だけれどもこの本を読んで良い意味で裏切られた。
一番印象に残ったのは教育の質の高さ。
授業はインプットだけではなくアウトプットベース。
生徒が様々な国から来ていることもあり、
地理の授業では生徒各々に自国の紹介をさせる。
例えばヤスミンカが当てられた時、
彼女は自国の地理を歴史的・地形的観点から語る場面がある。
その語りは自国の地理・歴史に対する知識が豊かにあるだけでなく、
事実としての知識を踏まえた上で自分自身の考えを表現することに慣れていることがわかる。
実際にソ連学校での試験は論述形式・口述試問のアウトプットでしか行われず、
日本の中学に編入した際、単純な知識量のみを問われる選択式の試験に面食らってたと米原さんも書いている。
かくゆう私も中学三年生の時に日本の中学からカナダ教育のインターナショナルスクールに編入して、同じように論述・プレゼンテーション・授業中の参加度数で評価される方式に面食らった。
編入して早々英語もほとんどできない時に地理の授業で
「この課題はあなたが割り当てられた州の担当の旅行代理店営業という設定でクライアント向けにPCでプレゼンテーション資料とパンフレットを作成して、クライアント(先生)にツアー企画実行を納得させてね。期限は3日後」
と言われた時には一瞬声を失った。
なんせ英語だけでなく日本の義務教育で日常の宿題をPCを使って課題をやることもないし、そんなプレ社会人みたいな課題を貰うことも「総合学習」みたいなお遊びみたいな授業以外ほぼない。
この教育プログラムギャップに関しては書き始めるとテーマが変わってしまうのでまた今度書こうと思う。
っと、話が逸れてしまった。
その他にも、面白かったのは「自分の考えを書面にすることの重さ」を知ることを
ソ連教育では刷り込ませていたこと。
ロシアのことわざ「ペンで書かれたものは、斧では切り取れない」を口すっぱく良い、
授業でも必ずノートを2冊用意しなければならない。
下書き用と提出用のノート。
下書き用はいくら間違えても良い。
推敲に推敲を重ねてペンで書いたものを提出し、誤字でもあるものなら減点対象となる。
下記が先生が米原さんに言った言葉。
マリ、一度ペンで書かれたものは、斧でも切り取れないのよ。だからこそ価値があるの。すぐに消しゴムで消せる鉛筆書きのものを他人の目に晒すなんて、無礼千万この上ないことなんですよ。
いやはや宿題にかかる労力たるや。
でも、だからこそ生徒は授業にかかわらず
物事に対して裏取りもせず軽々しく考えや思いを綴ることがなくなる。
自身の発信に対して責任が取れるようになる。
日本でいう、SNSの【誤爆】もこの教育方式なら減るんじゃなかろうか。
こういった教育プログラムは本質的には私の受けたカナダ教育と似ている点も多々あるが、
西の考えとは大きく異なると思ったのは、「才能」に対する考え方。
資本主義社会は才能はあくまで個人の持ち物だけれども、
共産主義社会では才能は「みんなのもの」。
だから嫉妬も足の引っ張り合いもないし、皆が喜び祝福してくれる。
この思想は『天国のお箸』的で本当に機能すれば共産主義ってとても良い思想なのでは、と思ったり。
3章で出てくる少女の中で私が一番好きなのはユーゴスラビアのヤスミンカ。
米原さんが30年後に会った時に発覚したのだが、
ヤスミンカの父はユーゴスラビア最期の大統領だった。
内紛のが激化している母国で再会したヤスミンカに米原さんは亡命を考えてるか聞いた時の答えが彼女の人格を物語っている。
ユーゴスラビアを愛してるというよりも愛着がある。
国家としてではなくて、たくさんの友人、知人、隣人がいるでしょう。
その人たちと一緒に築いている日常があるでしょう。
国を捨てようと思うたびに、それを捨てられないと思うの。
この本を読むのは3回目。
ああ、
ぼーっと生きてちゃいけない。
私、日本を愛して、世界を愛して、いっぱい勉強してワクワクして、
誰かの役に立てる人にならないと。
ただのエッセイなのにそう思わせてくれる米原さんってやっぱり魔術師だ。
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