読書紀行 4冊目【モモ】正しい現在(イマ)の生き方指南書

言わずと知れた児童文学の金字塔。
作者のエンデ本人は生涯一度も自身の作品を児童を「対象にして」書いたことはないという。
私もそう思う。事実、大人になってからの方がこの物語に助けられてきた。

【モモ】はやわらかい、やさしい文体ではあるけれど、実態のない利益主義・能率主義に対する率直な風刺の孕むそのメッセージ性は、まさしく児童文学の服を着た、大人の為の寓話と言える。

主人公モモの「相手の話を聞く」という能力。
「イマ」この瞬間、相手がその時伝えたいことを全身全霊で聞く。
それは過去でも未来でもなく、現在(イマ)を生きるということ、
そして同時に相手に自分の時間(命)を差し出すこと。
時間泥棒は現在(イマ)をおろそかにする人間の時間しか奪うことが出来ない。
だから現在を過不足なく生きているモモの時間を奪うことは出来ない。

私はどうなのだろう。
明日提出のレポートを書きながら、来週のプレゼンについて憂鬱になる。
電車に揺られ、先週やってしまった仕事の小さな失敗を思い出して落ち込む。

只々利益を追求する制度に支配されているこの現代で現在の時間を使って頭では過去や未来を生きてしまう。
まさしく時間泥棒に時間を奪われているといって良い。

どこか毎日息苦しくて、やらなければならないさまざまな課題に追われ、
毎日毎時間毎秒に十分な幸福を感じられない。
自分自身が侵入を許した時間泥棒に生活を侵され、思考は過去と未来を行ったり来たり。
そういうとき、モモの親友である道路掃除夫ベッポの言葉を思い出す。

いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん。わかるな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけ考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな。たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。ひょっと気が付いたときには、一歩一歩すすんできた道路が全部おわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれてない。これがだいじなんだ。 (【モモ】p.53,1,5)
やらなければならないこと全部を考えると、その一つ一つの事柄は全体の一部になってしまう。

全体の一部を「こなす」作業、そして時間を「消費する」作業、完成までの道のりという未来を思い悩んで、勝手に気が遠くなって、息切れする。
でも一つ一つの事柄に一所懸命に取り組めば、それは作業からイマを生きることへと変化する。

課されたものに押し潰されそうになって、
精神的にも体力的にも限界を感じた時、私は何度もベッポの言葉によって
私はちゃんとイマを生きているかどうかを考え直す余裕を与えて貰った。

モモという少女の物語は、
我々人間を繁栄と能率の達成の為の駒の一つとして扱う現代社会において、
己が自分のいのちを本当の意味で生きる為の手助けをしてくれる。

今に疲れて息切れしたら、大人の貴方にこそ読んでほしい。

答えはシンプルだけど、忘れ物は大抵奥深くに置き去りになっているものだから。
この物語がきっと置き場所を思い出す手助けをしてくれる。

A Moment along with An eternity

1度の出会い、1冊の本、1本の口紅、 1杯の紅茶を丁寧に愛したい

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