幾原邦彦展の図録を読んで
「見つけてもらえる奇跡」というのが、やりたかったことの一つだった。「見つける能力のある人が最後にする選択」を表現したかった。
幾原邦彦展の会場の壁に書かれた文字が涙で滲んだ。
いつだって監督の作品はちょっと正義や道徳の観点では足りないかもしれない子が出てきて、
でもその子のことを「見つけて」まるごと愛することができる人が出てくる
それはさらざんまいでいうハルカや、ユリ熊でいうみるんや、ピングドラムのももかが象徴としてわかりやすい。
(余談だけれど萩尾望都の【トーマの心臓】のトーマも同じ象徴だと思った)
見つけてもらえた人はその時はじめて自分は最初から孤独じゃなかった事に気づく。
「完璧じゃなくても自分は生きていても良いんだ」と気付いて、
自分以外の誰かを見つけてあげられるようになる。
見つけられた人は闇の中から掬い上げられる。
でも本当のさいわいは「見つけてもらえること」よりも「見つけられるようになること」なんだと。
誰かに見つけてもらえた後は、自分が誰か見つけてあげないとほんとうのさいわいは完成しないんだ。
壁の文字を見てそんなことを思う。
GWにソラマチで開催された幾原邦彦展。
イベント開始時間前に並び、
中にはスムーズに入れたものの
目当ての図録はなんと目の前の人で売り切れてしまって泣く泣く送料1,000円をお支払いして受注生産を申し込んだ。
イベント終了から1ヶ月。待ちわびて、やっと我が家に到着。
ときめきを胸にページを開き、読了したので自己満足で感想を。
幾原邦彦展 僕たちをつなげる欲望と生命の生存戦略 図録 【感想】
内訳としては幾原監督の生い立ち、作品の絵コンテ、企画案、それぞれの作品のハイライトになる台詞や、作品に対する監督の言葉が掲載されている。
全64ページ。
物理的なボリュームとしては物足りない。
でも読みながら胸が震えるには十分だった。
読めば読むほどひとつひとつの作品が作品そのものとしてクオリティが高いことを実感する。
メッセージ性の強さや意味深なシンボル、難解な台詞回しから
ストーリーの概念的な部分に注目しがちだけれど、
それぞれの作品の世界線での設定、キャラクター、プロット、どれを取っても初めて見たときは想定外の衝撃の展開なのに、いざ見た後はその物語の中でそうあるべきとしか言えないような成立の仕方をしているのが見事だ。
そしてどの作品も愛くるしい絵面と美しい音楽と、説明のし難いアングラモチーフが生きている。
アングラ感。
カッパは怪しい妖怪だし(しかもBL風)、ユリ熊なんて地上波大丈夫かなって心配になるくらいアダルトな百合だし(ていうかクマが人を食らうっていう設定自体、どうかしている)、ウテナは途中見るのが辛くなってくるような言いようのない閉塞感だし、ピングドラムは現実に起こった事件や身近な社会問題をモチーフにしている分、各キャラが息もできないような陰鬱さを背負っているし、ノケモノと花嫁は最新巻まで持ってるけどもう辛すぎて・・・言葉にならない
コミカル・メルヘンチックな絵とポップな音楽に一瞬騙されそうになるけど、
火曜サスペンスだって真っ青なくらい各作品のバックグラウンド設定は重い。
でも、だけど。
その「重い現実」を敢えて描き切って、
恵まれない環境による間違いも全て起こりうるとした上で。
奇跡のような確率かもしれないけど、「見つけること」は、できないことではないんだと帰結するメッセージは刺さる。
外的な環境は辛いかもしれない。ひねくれて育つのが当たり前かもしれない。
でも、「ぼくから約束のキスをすること」「いつだって、ひとりなんかじゃないこと」、
間違った世界の中でも尚、貴方がそんな風に気づくことが出来たら、そこからはじまるんだよって。
そう言われている気がした。
今はすごく混乱している時代じゃないですか。いろんな価値が入り乱れていて、その価値に人々が揺さぶられている。それでも大事にしたいと思うものはこれだよね、と感じるもの。そこに触れられる作品にしたいと思った。【さらざんまいへの監督のコメント】
最近、私は仕事が大変で、転勤地で友達もいないから言いようのない不安や寂しさに襲われて。
誰かに何かをわかって欲しくて仕方がなかった。
見つけて欲しいと思ってた。
求めてばかりで息をするのが苦しかった。
でも、多分見つけて欲しいと思っている間は、
見つけてくれる人が居ても気づかないんだろう。
私も見つけられるようになる日が来るだろうか。
図録で愛しい気持ちでいっぱいになった身体で
明日からの平日を乗り切ろう
おやすみなさい
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