はじめに形をつくっておいて、後から心が入るもの
入社3年目、総合職、独身女性。
自分で稼いだお金を自分の為に使えることに、喜びだけではなく、
少しの虚しさを感じて来た頃。
何かにもっと情熱を注ぎたくて、
その情熱が自分以外の何かや誰かに注がれるものなら良いと思うのに
それが自分にとって何か考えあぐねていた。
ある土曜日の午前中、TVを見ていたら
王様のブランチで放映予告のあった「日日是好日」の中で樹木希林が言っていた。
お茶ははじめに形をつくっておいて、
後から心が入るもの
その言葉を聞いて、何故だかわからないけど「お茶、習いたい」と思った。
勉強していく内に作法以上の何かを手に入れられる気がする。
そう思って早数ヶ月、今日やっと初めて体験レッスンに参加してみた。
レッスンといっても厳格なお茶室でやるのではなく、
現代風のテーブル茶道というもの。
先生には裏千家・表千家のマナーは愚か、
平点前さえ知識がないことをお伝えしていたので初歩から優しく教えていただいた。
お点前の頂き方、お茶のたて方、茶筅、なつめ、茶杓の位置、
それぞれを覚えるのはそこまで大変ではないけれど
一連の所作を流れるようには出来なくて、
ぎこちなくなってしまう。
先生の動きはとてもしなやかで無駄がない。
先生に「頭で考えても出来ないから、身体で覚えるしかないのよ」
と言われて、わかってはいたけれども
出来るようになるには鍛錬が必要だなと痛感した。
印象的だったのは西洋マナーは大抵片手で優雅に、だけれど茶道は全て両手で行うこと。
お茶菓子受けを向かい相手に渡す時も向きを変えるごとに一度畳に置く。
一つ一つの動作を丁寧に行うと、意識したわけでは無いのに
穏やかな気持ちで動作に真心を込めようという気になってくる。
自分一人のためではない、同じ空間にいらっしゃるお相手様の為の動作。
型はままならないけれども、形に心が付いてくるとはこういう感覚のことなのかなと、
少しだけわかった気がした。
そして何よりも感動したのはお茶菓子が美しかったこと。
(トップ画像参照)
菜の花畑とてんとう虫をあしらった生菓子を見て「美しくて情緒的だな」と思えた自分が嬉しかった。
日々仕事をしていると、段々と社会の尺度が見えてきて、
その枠に当てはめるゲームをすることに対して抵抗感がなくなって、
社会や会社の評価軸に順応した自分を作り始める。
同時に次第に人として、個人として必要な感受性を失っていくような感覚が、
自分にとっては言い表せない程に悲しかったのだけれど、
90分茶道に触れるだけで、無邪気だった頃の感性が少しだけ取り戻せた気がした。
世の中にはすぐわかるものと、
すぐわからないものの二種類がある
すぐにわからないものは長い時間をかけて
少しずつわかってくる
劇中での主人公の言葉。
茶道に限った話では無いだろうけど、
たった一度のお点前で自分にとって大きな気持ちの変化を得られた。
続けることによってもっと色々な気づきがあるのだろうと思う。
頻繁には無理だろうけれども、
茶道通ってみよう。
原作のエッセイ「日日是好日 『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」も読んでみよう。
これも縁もゆかりもない地方転勤で
暇を持て余したOL独身の特権と考えたら、
転勤も独身も悪くない。
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